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更新日:2020年11月28日

南房総エリア

 館山市/稲村城(いなむらじょう)

 稲村城は、館山市稲地区にある標高64メートルほどの丘陵に占地している中世戦国期の城郭です。北を流れる滝川を自然の堀とし、東、西、南を廻る丘陵地に外郭の役目を担わせた東西約2キロメートル、南北約1.5キロメートルにわたる城域を誇るお城です。主郭部の丘陵は、安房の国府が置かれていた府中を見下ろす位置にあることから、前期里見氏による安房支配を確立した重要な拠点となりました。
また、丘陵下の滝川を利用することで、直接館山湾の水上交通とも結べるという大きな利便性も有したお城でした。
 稲村城の築城は15世紀後半と考えられており、里見義豊が天文の内訌により、里見義堯に滅ぼされるまで、約80年間前期里見氏の本城でした。
天文の内訌後、稲村城は使用されなくなったため、戦国前期の城の姿がそのまま良好に残された遺構であり、貴重な価値を有する城跡として主郭部が国の史跡に指定されています。

デザインの説明

 里見氏の家紋と稲村城跡の鳥瞰図に城郭用語を配したものをモチーフとして、デザイン化しました。
このお城は、地元の有志の方々による長年の広範囲な保存運動の成果により、遺跡破壊を免れ、国指定史跡になった経緯を持つ戦国前期の城跡であり、現在も良好に残る様々な戦国期の城郭遺構を前記鳥瞰図が見事に表しているものです。

  •  館山城館山市立博物館受付:館山市館山351-2 城山公園内

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 南房総市/宮本城(みやもとじょう)

 宮本城は、南房総市富浦町大津の標高188メートルの山上を中心に占地する中世戦国期の山城であり、城跡は南房総市の指定史跡となっています。宮本城は稲村城の支城として築かれた城といわれていますが、天文の内訌(1533 年)の一方の主役であった里見義豊が幼少時育った城ともいわれています。
 宮本城は、地形に対して竪堀、土橋、堀切等を組み合わせ、大規模な山城としての要害化が図られています。
 また、石積み遺構が残ることが大きな特徴です。このお城は、北側の防御に力が注がれており、上総方面を意識した山城であったと思われます。
 遺構の状況から見ても、戦国時代末期まで使用されていたものと考えられているとともに、一時期は、里見家当主である里見義堯の居城であった可能性もあるといわれています。

デザインの説明

 宮本城はその城域、要害化の状況から見ても、安房の国、有数の山城といえます。
御城印においては、その山城全体の山容をモチーフとして、里見家の家紋と合わせデザイン化しました。

ご購入はこちら
  • 道の駅「とみうら枇杷倶楽部」:南房総市富浦町青木123-1
  • 道の駅「三芳村鄙の里」:南房総市川田82-2
  • 道の駅「ちくら潮風王国」:南房総市千倉町千田1051
  • 道の駅「富楽里とみやま」:南房総市南房総市二部1900
  • 道の駅「和田浦WA・O!」:南房総市和田町仁我浦243
  • 道の駅「ローズマリー公園」:南房総市白子1501

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南房総市/白浜城(しらはまじょう)

 白浜は、房総半島の南端に位置し、中世・太平洋の海上交通を抑える要衝でした。
そのため、関東地方の戦国時代の幕開けとなる享徳の乱(1454年~1483年)において、鎌倉公方足利氏から当時関東管領の上杉氏派が統治していた安房地域を奪うために、送り込まれたのが里見氏といわれ、その初代の里見義実が、本拠にした場所が白浜城と考えられています。
城跡は太平洋を一望に見渡せる標高140メートルの山頂を中心に占地し、東西1キロメートル、南北400メートルにわたる広大な城域を有します。
 城跡は南房総市指定史跡となっており、物見台、堀切などのほか、尾根に小さな平場を作ることで曲輪を配した房総戦国時代初期の遺構が残る城郭です。
登山道が整備されており、山頂からの太平洋の眺望は秀逸です。
山麓から山頂までは、約40分で往復することができます。

デザインの説明

 里見氏の家紋と太平洋を眺望するために物見台に建っていたであろう望楼を考証を踏まえ、イメージ化するとともに、望楼前に作られていたであろう木柵と太平洋からの海風にはためく里見家の幟をデザインのモチーフといたしました。

ご購入はこちら
  • 道の駅「とみうら枇杷倶楽部」:南房総市富浦町青木123-1
  • 道の駅「三芳村鄙の里」:南房総市川田82-2
  • 道の駅「ちくら潮風王国」:南房総市千倉町千田1051
  • 道の駅「富楽里とみやま」:南房総市南房総市二部1900
  • 道の駅「和田浦WA・O!」:南房総市和田町仁我浦243
  • 道の駅「ローズマリー公園」:南房総市白子1501

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南房総市/滝田城(たきたじょう)

 滝田城は南房総市上滝田区・下滝田区根小屋西方の丘陵上に占地する山城です。
築城時期は定かではありませんが、天文の内訌(1533年)時、里見義豊派の一色氏の居城であり、里見義堯派に攻められ落城したという歴史を持ちます。この落城後は、しばらくの間、里見義堯が居城としていたのではないかともいわれています。
 城跡の最高所は標高140メートルであり、八幡台と呼ばれ、主郭部と考えられるとともに、これを囲む形で、曲輪と思われる数か所の平場が認められる構造となっています。
城跡は南房総市の指定史跡とされており、曲輪、櫓台跡、竪堀などの遺構が良好に残ります。
また山麓より遊歩道が整備され、所要約80分で城内を巡ることができます。

デザインの説明

 このお城は、「南総里見八犬伝」では、里見義実の居城とされ、八犬伝発祥の城とされています。
 この経緯により、城跡内の遊歩道には、物語に登場する伏姫と八房の像である「伏姫八房翔天の像」があり、その像のイメージをモチーフに里見氏の家紋と合わせ、デザイン化いたしました。 

  • 道の駅「とみうら枇杷倶楽部」:南房総市富浦町青木123-1
  • 道の駅「三芳村鄙の里」:南房総市川田82-2
  • 道の駅「ちくら潮風王国」:南房総市千倉町千田1051
  • 道の駅「富楽里とみやま」:南房総市南房総市二部1900
  • 道の駅「和田浦WA・O!」:南房総市和田町仁我浦243
  • 道の駅「ローズマリー公園」:南房総市白子1501

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 大多喜町/大多喜城(おおたきじょう)

 大多喜城は、徳川四天王の一人、本多忠勝により、1590年に近世城郭として整備されたお城です。縄張りの特徴として、大田代層と言われる地元の地質の特性を活かし、一切の石垣を用いず城郭の構築が行われています。
 本多忠勝は生涯57の戦を闘いながら、傷一つ負わなかったという無敵の武将ですが、その築城術に関しても、地域の特性を活かすという合理性を有した武将であったことがわかります。現在、本丸には、三層四階の模擬天守が千葉県立中央博物館大多喜城分館として建てられていますが、本丸台地下の千葉県立大多喜高校内には往時の二の丸御殿薬医門が千葉県内唯一の現存城郭建造物として移築されており、さらに近くには、日本一の大井戸が遺構として現存します。大多喜城本丸は千葉県指定史跡となっており、お城としては、2017年に「続日本100名城」に選定されています。

 上部に本多家の家紋「立葵」、下部には1681年より明治維新まで大多喜城主であった大河内松平家の家紋を配しています。中央には、本多忠勝が戦国の勇者をたたえながら、来世は戦のない世界を念じたと言われている「地蔵菩薩」「阿弥陀如来」「観音菩薩」をそれぞれ右から梵字として配しています。
本多忠勝の所持した日本三大名槍の一つである「蜻蛉切の大槍」の槍先には、この三文字が彫られていました。

ご購入はこちら
  • 大多喜町観光本陣:夷隅郡大多喜町大多喜270-1(いすみ鉄道大多喜駅前)
  • 大多喜城分館(千葉県立中央博物館):夷隅郡大多喜町大多喜481

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 鋸南町/勝山城(かつやまじょう)

 千葉県安房郡鋸南町にある勝山城は対北条氏のために築かれた里見水軍の基地です。標高80メートルの八幡山に築かれ、眼下に勝山湊を臨むことができます。険しい独立丘陵を利用し、岩盤を削り残して土塁や石塁を設け、尾根上に堀切を入れ、城塞化しています。南西山麓の「水浦」には船溜まりがあったと思われており、その水浦に向かって削平した曲輪がいくつか見られることからも、船着き場や、そこにいた水夫の存在を想像することができます。

 勝山城は戦国期の典型的な海城で、内房を支配していた内房正木氏の城でした。勝山城を「新地」とする書状も残っていることから、三浦半島に蟠踞する北条水軍との戦いの拠点として新たに城の間に位置する勝山が勝山城に築かれたと考えられます。

 江戸時代に入り、里見氏が改易になると、内藤氏が入府。北麓に陣屋が築かれ、町は発展していきました。

デザインの説明

 勝山城は岡本城と金谷城との連携を考えた上での好立地に加え、湊の前面に防波堤にも目隠しになる浮島を持つ理想的な水軍基地です。この勝山湊こそが勝山城の存在意義と考えられるため、御城印デザインは勝山湊の遠景をモチーフにしました。勝山城城山の山容と勝山湊、そして小舟を描き、さらに里見氏の家紋「二つ引両」と天正期に城主だった正木氏の家紋「三つ引両」をそれぞれ配置しました。

ご購入はこちら
  • 鋸南町観光協会 保田駅前観光案内所:千葉県安房郡鋸南町保田249/TEL0470-55-1683/FAX0470-55-0661(火曜休)

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鋸南町/妙本寺砦(みょうほんじとりで)

 千葉県安房郡鋸南町にある中谷山妙本寺は、房総半島の中でも屈指の日蓮宗の古刹です。14世紀前半に創建され、その後、永生11年(1514)に里見義通がここを陣屋として以来、有事の際には里見氏の要害として使われていたため、「妙本寺要害」「妙本寺砦」などと呼ばれています。対北条氏のための里見水軍拠点として新たに勝山城が築かれるまでは、岡本城と金谷城の間にある妙本寺が、この二つの城の連携を担っていたと考えられます。実際、東京湾を挟んで三浦半島と対峙するこの寺は、戦国期には何度も戦火にさらされました。そして妙本寺は里見氏の庇護を受けることになります。

 海に面した丘陵地に位置し、本堂を囲むようにぐるりと尾根がめぐっており、自然地形を使って要害化した痕跡が見られます。太鼓打場と呼ばれる平場や堀切などが残り、戦国期の名残をとどめています。妙本寺には禁制などのたくさんの文書が残り、現地に残る痕跡や地形、立地以外にも、それらの記録が当時の歴史を今に伝えてくれます。

 海岸方面から妙本寺に向かうと、徐々に坂道になります。坂道を上がり山門の前に立つと、妙本寺を取り囲む尾根と、本堂の龍田課題がまるで砦の様に目の前にそびえ立ちます。妙本寺砦の御城印はそのようなイメージで、現在の妙本寺山門に柵を描きデザインしました。

 臨時の要害にも使われた里見氏ゆかりの寺なので、里見氏の家紋「二つ引両」を配置しました。さらに妙本寺境内にある里見氏の家紋と波をあしらったモチーフを使わせていただきました。ぜひ、現地で探してお楽しみください。

ご購入はこちら
  • 鋸南町観光協会 保田駅前観光案内所:千葉県安房郡鋸南町保田249/TEL0470-55-1683/FAX0470-55-0661(火曜休)

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旅して集めよう!千葉県で買える御城印はこちら!

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北総エリア

九十九里エリア

南房総エリア

かずさ・臨海エリア

▽いくつかの千葉県「御城印」デザインを手掛ける「山城ガールむつみ」さん▽

  • 山城ガールむつみさんからのメッセージ

千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。
千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。
今ブームになっている「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!