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更新日:2020年11月28日

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 市川市/国府台城(こうのだいじょう)

 国府台城は、旧利根川水系である太日川(現在の江戸川)沿いの標高 25mほどの断崖上に築かれました。 現在は、里見公園として整備され、堀切、空堀跡のなごりと見られる切通し状の坂道などが残っています。公園整備や戦時中の軍隊利用によって、当時の姿からかなり改変されましたが、土塁や櫓台と思われる遺構が確認できます。国府台は、眼下に渡河点があったため、度重なる合戦の舞台となりました。
 文明10年(1478年)、扇谷上杉氏の家宰である太田道灌が長尾景春に与した千葉孝胤(のりたね)を攻めるため、境根原合戦が起きました。その際に道灌が陣城を国府台に構えたと伝わり、この戦いで敗れた孝胤は、臼井城(佐倉市)に退却を余儀なくされます。孝胤追撃のため、文明11年 (1479年)、道灌の弟(一説には甥)の資忠が国府台に城を築いたとされ、この時にはじめて国府台城が本格的に築城されたと考えられています。
 その後は天文7年 (1538年)、小弓公方足利義明が陣を構え北条氏綱と戦った第一次国府台合戦や、永禄7年 (1564年)に北条氏と里見氏が戦った第二次国府台合戦などが繰り広げられ、国府台は度重なる戦いの舞台となりました。その後の城主・城代は不明ですが、国府台城は戦いの度に堅固な城郭として整備されていったと思われます。

デザインの説明

 天文年間になると、里見氏や真里谷(まりやつ)武田氏といった大名たちが、一族の中で家督争いによる分裂を引き起こします。それぞれの支持をめぐり、各勢力間で抗争が起きました。これらは北条氏、里見氏、小弓公方、古河公方らを巻き込んでの対立へと発展し、天文7年 (1538年)、国府台にて小弓公方足利義明と北条氏綱の間で戦いが起きました。 これが、世にいう第一次国府台合戦です。結果は義明の甥である古河公方晴氏の意を受けた北条氏綱が勝利、義明は壮絶な討ち死にを遂げました。
 武勇に優れた義明は、自ら陣頭に立ち、指揮をとったと伝わっています。御城印は、その義明の雄姿を描いた絵をモチーフにしました。 さらに、第一次国府台合戦で戦った足利氏と北条氏の家紋を上部に配置し、 第二次国府台合戦で戦った里見氏と北条氏の家紋を下部に配置し、動乱の戦国時代をイメ-ジしました。

 千葉市/猪鼻城(いのはなじょう)

 猪鼻城は、1126年に千葉常重が大椎城から千葉に移り、1455年に千葉宗家が滅びるまで、千葉氏が本拠としていたお城といわれています。その後も城郭として使われ、城址のある亥鼻公園内に残る土塁や堀切、郭は、戦国時代の遺構と考えられます。
 公園内の中央付近には、近世のお城の天守閣を模した千葉市立郷土博物館が建てられています。
ちなみに、城郭遺跡としての名称は「猪鼻城址」ですが、一帯の行政上の地名は「亥鼻」となっています。

デザインの説明

 御城印は、桓武平氏の名族として知られる千葉氏の家紋「月星紋」「九曜紋」と千葉市立郷土博物館前に立つ千葉常胤公をイメージした騎馬武者像を背景のモチーフとしたものです。
 常胤公は鎌倉幕府の樹立に大きく貢献し、千葉氏中興の祖とされます。

  • いのはな亭:千葉市中央区亥鼻1-6(亥鼻公園内)

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▽いくつかの千葉県「御城印」デザインを手掛ける「山城ガールむつみ」さん▽

  • 山城ガールむつみさんからのメッセージ

千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。
千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。
今ブームになっている「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!