菱川師宣とは? 代表作の浮世絵『見返り美人図』の魅力と、鋸南町のゆかりの地を徹底解説!

江戸時代のポップカルチャーとして、国内はもとより世界中から注目を集めている浮世絵。しかし、その浮世絵の始まりが千葉県鋸南町保田に産まれた絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)だということをご存じではない方も多いのではないでしょうか。切手の図案に取り上げられたことで有名になった代表作『見返り美人図』。その作者である菱川師宣は、どのような生い立ちを経て、「浮世絵の祖」と呼ばれるようになったのか、その生涯についてご紹介します。

菱川師宣とは? 代表作の浮世絵『見返り美人図』の魅力と、鋸南町のゆかりの地を徹底解説!
菱川師宣とは? 代表作の浮世絵『見返り美人図』の魅力と、鋸南町のゆかりの地を徹底解説!

菱川師宣って、どんな人?

  • 『鹿野武左衛門口伝ばなし』(天和3(1683)年、菱川師宣記念館蔵)に描かれた自画像

菱川師宣は、江戸時代前期に活躍した浮世絵師。

師宣は、それまで本の挿絵に過ぎなかった浮世絵を、1枚の絵画として鑑賞できる独立した作品に発展させた最初の人物で、木版画による大量生産によって、庶民でも手に入れやすい“大衆のためのアート”にしたことで「浮世絵の祖」と呼ばれています。


代表作は戦後初の記念切手の図柄にもなった『見返り美人図』。この作品は、日本を代表する浮世絵の美人画として知られています。

その他にも歌舞伎の芝居小屋や吉原の遊郭といった、当時の江戸の庶民文化を常に題材にし、絵画の楽しさを広く大衆に向けて発信。

師宣によって「浮世絵」というジャンルが確立され、以降200年以上に渡って隆盛を極めた浮世絵文化の礎となりました。

  • お話を聞かせてくださった菱川師宣記念館学芸員の笹生さん

菱川師宣の生まれ故郷・鋸南町保田にある菱川師宣記念館で学芸員を務める笹生(さそう)浩樹さんに、師宣の生い立ちや作品の特長などについて伺いました。

安房国保田に生まれ、父は縫箔師

  • 鋸南町保田の南にある菱川師宣誕生地

県の名勝として観光スポットにもなっている鋸山の南麓にある保田の町で、菱川師宣は生まれました。

江戸時代の保田はどのような町だったのでしょうか?




「現在と同様、漁業を中心とした漁師町でした。江戸時代には、押送船(おしょくりぶね)と呼ばれる江戸に鮮魚を運ぶ船が往来する港として栄えていたんですよ」(笹生さん)

  • 師宣の父・菱川吉左衛門による刺繍作品『釈迦涅槃図』(万治元(1658)年、松翁院蔵)画像提供:菱川師宣記念館

浮世絵という江戸文化を象徴するアートの開祖が、長閑な漁師町の出身というのは意外ですね。




「師宣の父・菱川吉左衛門は、縫箔師(ぬいはくし)と呼ばれる布地に刺繍や、金銀箔の装飾を施す優秀な職人でした。この仕事には高度な技術と芸術的な感性が求められることから、吉左衛門は、当時の文化の先進地であった京都からの移住者だったのではないかといわれています。


そういった父親の職業柄もあって、家には中国の唐絵や、日本の伝統的な狩野派や土佐派などの絵画があり、子どもの頃から絵が好きだった師宣は、それらを見て、写すことで画力を高めていったのではないかと考えられています。また、父の仕事を手伝いながら、縫箔師の技術についても身に付けていったのではないでしょうか」(笹生さん)

  • 制作年と保田村という地名、作者・菱川吉左衛門の名前が入った『柿本人麻呂像』(慶安2(1649)年、菱川師宣記念館蔵)

江戸に出て、絵師を志す

  • 延宝8(1680)年に出版された『大和武者絵』の序文に記された師宣の経歴。幼い頃から絵の道に目覚め、自ら工夫し、独自の絵画様式を確立したとされる

その後、師宣は江戸へ出て、絵師の道に進んでいくことになりますが、何歳頃に、江戸に出たのでしょうか?




「師宣の前半生については、俗称を吉兵衛といったこと以外、あまり明らかにはなっていません。ある程度の年齢になった時に、父親の知り合いなどの伝手を頼って江戸に出て、縫箔師の修行をしていたのではないでしょうか。そして、暇を見つけては江戸の町に繰り出し、人々の様子をスケッチしていたようです。


師宣が足繁く通ったのは、当時の江戸の人気スポットだった歌舞伎の芝居小屋や吉原の遊郭。最先端の流行が生まれる場所へ頻繁に出入りして、江戸の人々の活き活きとした様子を描き出そうとしていました。そんな師宣の行動が、版元など江戸の出版業界の人の目に止まり、本の挿絵を描くようになっていったと考えられます」(笹生さん)

挿絵が中心の絵本を出版して評判に

  • 『武家百人一首』(寛文12(1672)年、鶴屋刊、菱川師宣記念館蔵)
  • 「絵師 菱川師宣」の名前が記されている『表四十八手』(延宝7(1679)年、菱川師宣記念館蔵)の奥付

本の挿絵を描くようになった師宣が、世間に広く知られるようになったのは、どのようなきっかけからでしょうか?




「寛文12(1672)年に出版された絵本『武家百人一首』において、版本として初めて絵師 菱川吉兵衛の名前が記されました。当時、絵師の地位は低かったので、名前が本に載るようなことはありませんでしたが、師宣は版元に名前を入れることを認めさせるくらいの実力があったということだと思います。


また、それまで挿絵といえば、本の所々にちょっとずつ挿し込まれている程度のものでしたが、やがて師宣は絵づくしという本を出し始めます。1ページの中心に大きく師宣の絵が据えられて、文章はページ上部に小さく入れる形、これを“頭書形式”というのですが、いわゆる絵本の形式になっていたんですね。これが大いに人気を集め、師宣の名は江戸中に知れ渡ることになりました」(笹生さん)

  • 古今東西の美女たちの逸話を紹介した『美人絵づくし』(天和3(1683)年、鱗形屋刊、国立国会図書館)
  • 庶民の風俗を紹介した『大和侍農絵づくし』(延宝8(1680)年、鱗形屋刊、国立国会図書館)
  • 女性の嗜みや風俗について紹介した『和国百女』(元禄8(1695)年、国立国会図書館)

今でいう絵本画家の先駆けのような感じですね。絵本の内容は、どのようなものだったのでしょうか?




「『武家百人一首』は、古今の有名な武将による百人一首で、歌と肖像画を1人1ページずつ紹介して、計100人描いています。他にも、誰もが知っているような物語や伝説、武士や美人の逸話、生きていくうえでの教訓となるような話。それから、江戸の人々の生活の様子をはじめ、歌舞伎の芝居小屋や吉原のガイドブックみたいなものを数多く描き、出版しました。これらが江戸の情報誌のような役割を果たして、人気になっていくんですね。師宣はこうした版本を生涯に100種以上手掛けて、この分野の第一人者になりました」(笹生さん)

大衆のためのアート=浮世絵を確立する

  • 吉原遊廓までの道程を描いた『吉原の躰 日本堤』(江戸時代、菱川師宣記念館蔵)。着色は出版後に施されたもの

絵本を大ヒットさせても師宣の絵画に対する情熱と、絵の楽しさを多くの人に知ってもらいたいという挑戦はとどまることはなかったようですね。




「そこで師宣が始めたのが、絵だけを独立した1枚の版画にして売り出すことでした。師宣の時代にはまだ墨摺(すみずり)でしたが、木版画の1枚絵を絵画として売り出したのは師宣が最初。それまでの絵画といえば、絵師が1枚1枚絵筆で描く肉筆画しかなかったため、大変高価で一部上流階級の人しか楽しむことができませんでした。師宣はそれを大量生産ができる版画として安価に売り出すことで、“大衆のためのアート=浮世絵”というジャンルを確立したのです」(笹生さん)

  • 源頼光とその家来による鬼退治を描いた『大江山物語 四天王と鬼』(江戸時代、菱川師宣記念館蔵)。着色は出版後に施されたもの

「こうした一枚摺版画は、当時は組物と呼ばれる12枚程度のセットで販売され、1枚でも鑑賞できますが、つなぎ合わせてみることで簡易な版画の絵巻物が作れるという楽しさもありました。こうした趣向も師宣のアイデアだったようです。師宣は浮世絵の開祖であるばかりでなく、江戸の出版文化をリードしたプロデューサーでもあったのだと思います」(笹生さん)

  • 謡曲や浄瑠璃で謡われた姉妹の悲恋物語を描いた『松風村雨』(江戸時代、菱川師宣記念館蔵)

「ちなみに“浮世絵”の“浮世”とは、江戸時代初め頃の流行語で、「今風の」、「流行りの」、「最新の」といった意味で使われていた言葉です。すなわち“浮世絵”とは最新の絵という意味で、それらは師宣の絵のことを指して言っていたと考えられています」(笹生さん)

肉筆画でも江戸の庶民を題材に

  • しどけなく横たわる遊女と禿を描いた『秋草美人図』(元禄前期、菱川師宣記念館蔵)
  • 江戸の女性たちがお花見に向かう姿を描いた『行楽美人図』(元禄前期、菱川師宣記念館蔵)
  • 江戸の二大悪所と呼ばれた吉原遊郭や芝居小屋を描いた『北楼及び演劇図巻』(江戸時代)出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
  • 庭に紅葉のある風呂屋の場面が描かれた『四季風俗図巻』(江戸時代)出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

江戸で人気の絵師となった師宣のもとには、絵を描いてほしいと依頼をしてくるお金持ちが訪れ、そのために描いたのが肉筆画でした。

絵師としての本領を遺憾なく発揮できる肉筆画で、師宣はどのような作品を描いたのでしょうか?




「師宣は常に江戸の庶民の活き活きとした姿を題材に求めました。肉筆画でも歌舞伎の舞台や、吉原遊廓、隅田川の舟遊びなど、行楽地での庶民の姿を色鮮やかに描きあげ、掛け軸や絵巻物、屏風などにしています。代表作『見返り美人図』のような美人画も多く手掛けました。師宣が描く美人画は、女性のなめらかな体の線を強調し、片手で着物の褄(つま)を取る独特のスタイルが大変な人気で、“菱川ようの吾妻おもかげ”ともてはやされて、江戸の美人の代名詞になっていきました」(笹生さん)

あえて振り向きざまの姿を描いた『見返り美人図』

  • 『見返り美人図』(江戸時代)出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

師宣が描いた作品で一番有名な『見返り美人図』は、着物の鮮やかさにまず目が奪われますね。そして、振り向きざまのポーズというところがなんとも特徴的です。




「実はこの絵は、当時の最新ファッションを見せるための絵だという説があるんですよ。描かれている髪型は“玉結び”と呼ばれる先端を丸く結わいたもので、江戸の女性たちの間で流行したヘアスタイルでした。帯も“吉弥結び”という結び方で、当時人気のあった上村吉弥という歌舞伎役者が舞台で結んでいた結び方なんです。着物は菊や桜の花びらが描かれた緋色(ひいろ)の鮮やかな“元禄小袖”を着ています。師宣はこうした当時の最先端の流行を紹介するために、あえて振り向きざまの姿を描いたのではないかといわれているんですね。


『見返り美人図』が描かれたのは、師宣の晩年期といわれていますが、ちょうどその頃、経済力をつけた町人が台頭し、華やかできらびやかな元禄文化の影響が江戸にも入ってきたところでした。師宣はそんな当時の流行を描きたかったのだと思います。その感性は、師宣の父や師宣自身が、縫箔師という芸術性の高い仕事に携わっていたことによって育まれてきたのではないでしょうか」(笹生さん)

故郷を愛した菱川師宣の絵画にかける思い

  • 師宣が寄進した梵鐘のレプリカ(現在は菱川師宣記念館前に設置)

師宣は終生、故郷の保田を愛していたといわれているそうですが、それはどのような点から推察できるのでしょうか?




「師宣は肉筆画の落款に『房陽』『房国』と描き入れることで、自分は房州生まれの絵師であるということを誇りにしていました。当時、江戸〜保田間は船の便が発達していたため、師宣は江戸に出てからも頻繁に保田へ帰ってきていたであろうと考えられます。亡くなる1カ月ほど前にも保田の別願院に梵鐘を寄進していて、その鐘に自分の祖父、父、母、叔父、子ども、兄弟、それから使用人に至るまで、親族の名前を刻んでいるんですよ。これが故郷や家族に対する思い入れの深さを物語っているのではないでしょうか」(笹生さん)

  • 保田の別願院にある菱川師宣の墓

故郷の保田に思いを寄せながら、浮世絵の開祖・菱川師宣は元禄7(1694)年に江戸で死去。師宣は江戸に工房を構えて、たくさんの弟子を抱え菱川派を形成していましたが、師宣が亡くなった後、菱川派は瓦解してしまい、長く続かなかったそうです。




「師宣の本名は、菱川吉兵衛で、画号として『師宣』と称していました。師宣の『師』には諸々、多くの人に、『宣』には広めるという意味があります。絵画の楽しさを多くの人に広めたいという師宣の思いは、のちの喜多川歌麿や葛飾北斎、歌川広重といった後世の浮世絵師たちに引き継がれていったのではないかと思います。もし師宣がいなかったら、彼らは後の世であれだけの活躍をすることはなかったかもしれません」(笹生さん)

  • 菱川師宣記念館前に佇む見返り美人のブロンズ像

師宣の死後300年以上が経ち、現代でも“江戸時代のポップカルチャー”として世界中から注目を集める浮世絵。そのルーツを見に、皆様も菱川師宣の故郷・保田にある菱川師宣記念館を訪ねてみてはいかがかでしょうか。

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